疑問提起されたので。
質問されたので、答えられる範囲で。
- 人間の一部の商品化が人間全体の商品化につながるのは何故か?
- 商品だと人間扱いされないのは、自明なのか?
- 性の商品化が、その他の人間の能力の商品化と差別されるのは何故か?
一番目と三番目については、私はそんなこと言ってませんので、ご自分でお考え下さい。商品化されているのは肉体や性であって、「人間全体」などとは思っていませんでした。また「性の商品化」と「その他の人間の能力の商品化」が「差別される」というのも、よく分かりません。
2番目については「自明」であるかと。但し、私はただ単に「人間扱い」と書くと、あまりにもいろいろなケースを想起してしまうので「(通常の)」と括弧書きを加えました。これでも健常者とか社会的地位とかを連想する人がいるかも知れませんので、「ごく普通の付き合いの上で、とは異なった見方をされかねない」と書いたほうが分かりやすかったかもしれません。
一般的に、女性は恋愛とか結婚を前提としていない限りベッドを共にしてくれることは少ないですが(スポーツ感覚で「さぁ来い!」とかいう人もいるのかもしれませんが)、娼婦であれば金銭で体を開いてくれるので、前述の前提よりは「手軽」であることから軽んじる傾向が強くなります。また、買ったものだからどう扱っても構わないなどと勘違いするバカも出てくるかもしれません。
但し支払う金額によっては、花魁のようにスター扱いになる場合もあります。彼女らは並みの男性では決して購入できないほど高額ですから、宝石のように大事にされます。同じ人間なのに、支払った額によってこれだけ扱いが変わるのは「商品」であるからに他ならないでしょう。「商品なんだから(通常の)人間扱いされない」と書いたのは、このような意味においてです。
「社会的な文脈」というのが何を意味しているのか、いまひとつよく分からないのですが、岸田秀は「女の肉体の商品化は、(中略)人類の文化の発生とともに始まったと思う。というより、それは、人類の文化の成立の不可欠な要素の一条件ではなかったかと思う。」と書いていますね。
私の考えは以下の通り
(中略)
- 「『カネを払えば誰とでも寝る女』が否定的な印象をもつ」ことは社会的な文脈によるものである。
これも前述の引用から明らかでしょう。問題は商品化が「カネを払えば誰とでも寝る女」に限定されてはいないことであって(この点については本をお読みください)、だからこそ特定の「職業差別」などという見方が浅すぎる、ということです。あの主婦の方は「職業差別」をしているつもりだったのかも知れませんが(ひょっとすると、です。そこは分かりません)、実はそんなものではないので、「差別されてる訳ではなくて軽蔑されている」と書いたわけです。
つまり「『カネを払えば誰とでも寝る女』が尊敬の対象」である社会は、禁止されていないと思います。
『職業差別だって!? ペッ!!』に疑問提起 - 不動産屋のラノベ読み
念のためにお聞きしますが、私が「『カネを払えば誰とでも寝る女』が否定的な印象を」もたれなければいけないと言っているように読んだわけではありませんよね? 「禁止」するとかしないとかと書いた覚えはありません。あくまでも、あなたが想定されたsituationですよね?
「禁止」って誰がするんですか? そういう社会であり得た可能性も否定できないという意味ですか? であるなら、どうして『カネを払えば誰とでも寝る女』が尊敬の対象」となる社会とはならなかったのか、どうすればそうなったのかを考察して、エントリを上げていただければ幸いです。
[ 追記 ]
単に長いので省略したら、その部分にすっぽりと嵌ってくる奴がいるのには大笑いwww
[売買春][労働観][これはひどい]現代資本主義社会における「商品」の何たるかが全く分かってない。
烏蛇ノート備忘録 / 2007年03月16日
省略抜きの岸田秀の文は「女の肉体の商品化は、資本主義の発達によってますます露骨な形で現れているにせよ、資本主義の結果ではなく、はるかにもっと以前、つまり人類の文化の発生とともに始まったと思う。というより、それは、人類の文化の成立の不可欠な要素の一条件ではなかったかと思う。」である。
だからオレは「現代資本主義社会に」限定して考えるつもりはない。その必要性があるなら、「女の肉体の商品化」がもたらす影響が、現代以前の資本主義社会とか社会主義その他の状態において、どのように違ってくるかを説明して頂きたいものだ。