隗より始めよだな、こりゃ

すごく興味深いのは、小中高どの学年でも、自分の回答が不正解だとわかった瞬間には狼狽またはがっかりした顔をしているのに、「そんな言い方誰も(略)」と言う瞬間にはものすごく人をバカにした口調になっていることです。つまり、この子たちは、一旦失われた自尊心を以下のようなプロセスで回復しているんだと思います。
「そんな言い方誰もしない」と言い張るお子様たち - みやきち日記 via はてなブックマーク - 注目エントリー

ここで語られている話のキモは、少し前のエントリと同じ。

思うにそういう逆ギレヘテロさんたちって、見下していた相手(セクマイ)に論理的に言い負かされることで、「これまで見下してきたアイツらより俺の/私の方が下になってしまう!」「ランクが『下』になったら、自分がこれまでしてきたような一方的な蔑視を、今度は自分が受けることになってしまう!」という恐慌状態に陥っているんじゃないでしょうか。
「見下し型アイデンティティ」と逆ギレ - みやきち日記

つまらないブライドを回復しようとして痛い反応を見せている連中の話で、自尊心の置き所が低いと、ちょっとしたことでもすぐにそれを突き崩されかねず、その度にパニくって回りに迷惑をかけたり笑われたりするという訳だ。誰にでも自尊心はあるからいつの時代においても基本的には同じ事であろうが、オヤジとか軍人さんとか天皇陛下とかお殿様とかが今よりももっともっと協力であった時代に比べ、現代はその度合いが酷くなっているのではないだろうか。要は、強権的な親の元で育てられた子供に比して、親バカに甘やかされて育ったガキの方が精神的に脆いであろうという、誰にでも分かるハナシに過ぎず、「〜のではないだろうか」などと肩肘張った書き方する必要もないんだが。
ともあれ、今よりも昔のほうが遥かに人に頭を下げなければならない場面は多かったと思われる。頭の下げ方によっては命を落としかねない局面すらあったであろう。厳しい階級社会の中で、果たしていちいち自尊心が傷ついたりしている余裕などあったろうか。それが個人的な発奮の機会となったり、階級闘争や社会運動の原動力となったりしたことはあったろうが、それに比べて、高が慣用句を知らなかったり男色がどうのといった問題はあまりにも小さ過ぎる。それはやはり戦後、「平等」で「民主的」な社会が訪れたことによるものであろう。
オレなんかは既に甘やかされて育ってきたので、時には理不尽極まりない怖いオヤジなどいない方が結構なのだが、それはテメーのバカを叱ってくれる人が少なくなってしまったことでもあって、全て自分で精進しなければならないという、なかなかに大変なことでもあるのだ。
ストーカー行為をしたりフラれたくらいで殺してしまうのも全てこれ。ブタもおだてりゃ木にのぼるのであって、下手をすりゃ放っときゃすぐに肥大化する自尊心を自制する努力を普段から続けなければならない。